Side:C
【捧ぐ-4】
少々長めですので、4つ記事に分けて投稿しています。
3つ前の記事よりお読み下さい。
(本編続きから)
一歩、クライズクラウが前に出る。
ちらと見えたその表情には驚きというような感情がないようにバシットゥは思えた。
「……アル・アフーウ様が何処でお眠りかはお分かりですか?」
「いいえ、十年以上も前のことになりますので……」
墓地とは魂が女神の元へ送られるまでの所謂待ち場所である。簡素な作りも墓標がないのも、全ては此処が弔う場所ではないからだ。
この共同墓地もまた例外ではなく、一つの土盛りに何人もの死者が眠っているのだろう。女神の元、全ては平等なのだ。
勿論、それはクライズクラウも理解していることでもある。
「その魂は女神様の元に辿り着かれているでしょう。きっと、貴女様のことも女神様がアル・アフーウ様にお伝え下さりますよ」
「……」
クライズクラウは眼前に広がる土盛りを見回す。
何処に眠っているのかはもう知ることは出来ない。だが、此処の何処かに、彼の人は確かに居るのだ。
「……アル・アフーウ様、クライズクラウです。覚えていらっしゃいますか?漸く、漸く此処までお会いに来ることが出来ました」
「貴方のお陰で、私は今こうしてこの世界で生きることが出来ています」
「……本当に、本当に――」
――有難う御座います
…
……
………
「……ご存知だったのですか?」
墓地にてルシュディーと別れ、神殿を介さぬ道を二人は歩いていた。
やはりそこに二人以外の影はなく、とても静かだった。
「んー……なんとなくってとこだな」
バシットゥの前を行くクライズクラウがすっかりいつもの調子で返す。
「俺と会った時にはもう六十近かったって聞いてたし、不思議じゃねぇとは思ってたさ」
「……左様で御座いましたか」
「悪ぃな、今日は長々と付き合わせちまって」
気を使ってか、その声は明るく軽いものだった。
風も冷えだし、日も傾きそろそろ地面に隠れようとする頃である。少なくとも詫びの言葉は本心だろう。
「いいえ、お力になれたのなら僕にとっても喜ばしいことで御座います。アル・アフーウ様もお喜びになっておいででしょう」
先を行く肩が僅かに揺れる。笑ったのだろうか。表情は窺い知れなかったがバシットゥはそう感じた。
「そうだと良いんだがなぁ。まぁ、俺も漸く一つつかえが取れたってとこだな」
夕刻の風が黒髪を撫ぜた。普段は隠しているものであるからか、どこか邪魔そうにクライズクラウはそれを首に抑えつける。
そろそろ礼拝の時刻でもあるのだろうか、風は同時に声音を運んできた。
まだ距離があるからか明瞭に聞こえてはこない。それでも一日の終わりを感謝を伝える声、母に連れられる子供の声、それらに一つ一つ応える神官の声。言葉までは聞き取れなくとも、人々の営みを感じるには十分だ。
混ざる声の中に一際高い音の声がした。少しだけ騒がしさが増す。子供が転んだのだろうか。
「――本当は」
ふと、クライズクラウの足が止まる。
「本当は……ちっとは、期待してたんだ」
「……クラウ様?」
首筋に宛てがった掌が力なく落ちた。それと同時に逆の手に握られたムクナを風が攫う。
ふわりと舞ったそれはバシットゥの脚に纏わりつく。
「本当は、また女神様が俺らを繋げて下さって、アル・アフーウ様の命も繋いで下さってるんじゃないかってさ。……そんな訳ねぇのにな、そんな虫の良い話なんか、女神様もお許しにならねぇのにな」
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉に自嘲が混じる。くつくつと、自分を笑う声に肩が揺れる。
「でも……でもさ。本当は、本当はちゃんと会って伝えたかったんだ。伝えてもらうんじゃなくて、ちゃんと会って、目ぇ見て、自分の言葉で伝えて、そんで……返事貰いたかったんだ」
揺れる肩に嗚咽が混じりだす。
一度湧き出た感情は止まらない。外に逃げ行く感情に伴うように、彼女の身体からするりと力が抜けて行く。
気付いた時にはもう遅く、その身体は膝から崩れ落ちた。
「結局、結局俺は!あの人の顔も、声も!なんも……なんも知らないままで……!」
地面が滴で濡れていく。涙など、流すのは一体幾年振りなのだろう。止め方などとうに忘れているというのに。
顔を手で覆っても、濡れる瞳を抑えても、涙の栓は閉じられない。嗚咽が喉を押し潰す。
きっと、今はとても情けない顔をしているのだろう。
その顔を、何かが上から覆い隠した。
「……?」
見上げようとしたその頭頂を、優しく、しかし確かに何かが押し戻す。
僅かに見える視界には純白のムクナと、その奥に見覚えのある脚が覗いていた。
「バ、シ……トゥ……?」
「……泣き顔を見られるのはお嫌でしょうから」
乗せられた大きな掌はゆっくりとクライズクラウの頭を撫でる。
その声に、手の温かさに、彼女の中で何かが切れた音がした。
「う……あ、ああ……あああああっ!あ、う……あ、あああああああああああああああっ!!」
伝えたかった言葉があった。
あの時飲み込んだ言葉を、直接貴方に伝えたかった。
養母は母であった。
共に育った子供達は兄姉であった。
そして。
私にとっての父は、貴方であった。
私を救い、名をくれた貴方こそ、私の父であった。
伝えたかった。
そして。
唯一度、一度だけでも。
父と呼ばせて欲しかった。
――――――――――――――――――――――――――――
バシットゥ(@夜鳥さん)お借りしました。
ちらと見えたその表情には驚きというような感情がないようにバシットゥは思えた。
「……アル・アフーウ様が何処でお眠りかはお分かりですか?」
「いいえ、十年以上も前のことになりますので……」
墓地とは魂が女神の元へ送られるまでの所謂待ち場所である。簡素な作りも墓標がないのも、全ては此処が弔う場所ではないからだ。
この共同墓地もまた例外ではなく、一つの土盛りに何人もの死者が眠っているのだろう。女神の元、全ては平等なのだ。
勿論、それはクライズクラウも理解していることでもある。
「その魂は女神様の元に辿り着かれているでしょう。きっと、貴女様のことも女神様がアル・アフーウ様にお伝え下さりますよ」
「……」
クライズクラウは眼前に広がる土盛りを見回す。
何処に眠っているのかはもう知ることは出来ない。だが、此処の何処かに、彼の人は確かに居るのだ。
「……アル・アフーウ様、クライズクラウです。覚えていらっしゃいますか?漸く、漸く此処までお会いに来ることが出来ました」
「貴方のお陰で、私は今こうしてこの世界で生きることが出来ています」
「……本当に、本当に――」
――有難う御座います
…
……
………
「……ご存知だったのですか?」
墓地にてルシュディーと別れ、神殿を介さぬ道を二人は歩いていた。
やはりそこに二人以外の影はなく、とても静かだった。
「んー……なんとなくってとこだな」
バシットゥの前を行くクライズクラウがすっかりいつもの調子で返す。
「俺と会った時にはもう六十近かったって聞いてたし、不思議じゃねぇとは思ってたさ」
「……左様で御座いましたか」
「悪ぃな、今日は長々と付き合わせちまって」
気を使ってか、その声は明るく軽いものだった。
風も冷えだし、日も傾きそろそろ地面に隠れようとする頃である。少なくとも詫びの言葉は本心だろう。
「いいえ、お力になれたのなら僕にとっても喜ばしいことで御座います。アル・アフーウ様もお喜びになっておいででしょう」
先を行く肩が僅かに揺れる。笑ったのだろうか。表情は窺い知れなかったがバシットゥはそう感じた。
「そうだと良いんだがなぁ。まぁ、俺も漸く一つつかえが取れたってとこだな」
夕刻の風が黒髪を撫ぜた。普段は隠しているものであるからか、どこか邪魔そうにクライズクラウはそれを首に抑えつける。
そろそろ礼拝の時刻でもあるのだろうか、風は同時に声音を運んできた。
まだ距離があるからか明瞭に聞こえてはこない。それでも一日の終わりを感謝を伝える声、母に連れられる子供の声、それらに一つ一つ応える神官の声。言葉までは聞き取れなくとも、人々の営みを感じるには十分だ。
混ざる声の中に一際高い音の声がした。少しだけ騒がしさが増す。子供が転んだのだろうか。
「――本当は」
ふと、クライズクラウの足が止まる。
「本当は……ちっとは、期待してたんだ」
「……クラウ様?」
首筋に宛てがった掌が力なく落ちた。それと同時に逆の手に握られたムクナを風が攫う。
ふわりと舞ったそれはバシットゥの脚に纏わりつく。
「本当は、また女神様が俺らを繋げて下さって、アル・アフーウ様の命も繋いで下さってるんじゃないかってさ。……そんな訳ねぇのにな、そんな虫の良い話なんか、女神様もお許しにならねぇのにな」
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉に自嘲が混じる。くつくつと、自分を笑う声に肩が揺れる。
「でも……でもさ。本当は、本当はちゃんと会って伝えたかったんだ。伝えてもらうんじゃなくて、ちゃんと会って、目ぇ見て、自分の言葉で伝えて、そんで……返事貰いたかったんだ」
揺れる肩に嗚咽が混じりだす。
一度湧き出た感情は止まらない。外に逃げ行く感情に伴うように、彼女の身体からするりと力が抜けて行く。
気付いた時にはもう遅く、その身体は膝から崩れ落ちた。
「結局、結局俺は!あの人の顔も、声も!なんも……なんも知らないままで……!」
地面が滴で濡れていく。涙など、流すのは一体幾年振りなのだろう。止め方などとうに忘れているというのに。
顔を手で覆っても、濡れる瞳を抑えても、涙の栓は閉じられない。嗚咽が喉を押し潰す。
きっと、今はとても情けない顔をしているのだろう。
その顔を、何かが上から覆い隠した。
「……?」
見上げようとしたその頭頂を、優しく、しかし確かに何かが押し戻す。
僅かに見える視界には純白のムクナと、その奥に見覚えのある脚が覗いていた。
「バ、シ……トゥ……?」
「……泣き顔を見られるのはお嫌でしょうから」
乗せられた大きな掌はゆっくりとクライズクラウの頭を撫でる。
その声に、手の温かさに、彼女の中で何かが切れた音がした。
「う……あ、ああ……あああああっ!あ、う……あ、あああああああああああああああっ!!」
伝えたかった言葉があった。
あの時飲み込んだ言葉を、直接貴方に伝えたかった。
養母は母であった。
共に育った子供達は兄姉であった。
そして。
私にとっての父は、貴方であった。
私を救い、名をくれた貴方こそ、私の父であった。
伝えたかった。
そして。
唯一度、一度だけでも。
父と呼ばせて欲しかった。
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バシットゥ(@夜鳥さん)お借りしました。
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